日本で初となる冬虫夏草の本格栽培に成功したのが2003年。以来、冬虫夏草ブームが訪れて、慢性病に悩む多くの方からお慶びの言葉を頂き感謝にたえません。 |
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新着情報 |
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癌にリベンジを果たすべく冬虫夏草を研究 |
癌と闘う「食事革命」を主宰する川浪が冬虫夏草の研究を始めたのは、深い悲しみの出来事がきっかけだった。今から35年前にさかのぼる昭和57年春のことでした。 |
「身体に鉛が入ったように重い」と父親が不調を訴え、すぐに検査をしたところ肝臓癌、しかも余命3ヶ月という診断だった。健康雑誌で効果がすごいという丸山ワクチン、抜毒丸、ビワの葉、クマザサなどいろいろと試みたが、まるで坂道を転げるように病状は悪化し、入院わずか45日の闘病の果てに永眠。「癌を克服する何かを見つけて必ず癌にリベンジしてみせる」と、苦しみから解放されて穏やかに眠る父親に誓いを立てた。 |
研究者が見たチベット産の冬虫夏草 |
冬虫夏草の研究者がまとめた貴重な資料です。写真と図解で分かりやすく説明、約10分で読み切れます |
台湾には世界的に有名な漢方薬街、迪化街がある。馴染みの漢方医がいる店で偶然、チベットで穫れる冬虫夏草の凄さを知ることとなった。あれは25年前のことである。 |
冬虫夏草を食しながらチベット高原で猛特訓に励んだ中国女子陸上チームが、ドイツで開かれた世界陸上競技大会で神がかり的な大活躍をしたという。そのニュースが迪化街の街角に流れたとき、驚嘆にも似た歓声がこだました。 川浪は、爪楊枝ほどの小さなキノコが5000年もの間、何ゆえに漢方生薬の頂点にあったのか真相について研究を始めた。もしかするとこのキノコが、父親と約束した癌を克服する何かなのかも知れない。 阿里山に開設していていた薬膳キノコ研究所(キノコ菌床を作って日本に送る工場)で冬虫夏草を人工培養する研究が始まった。しかしながら、冬虫夏草の人工培養はアワビタケ(菌床を培養し日本へ輸出)のように簡単ではなかった。試行錯誤をつづけた99年9月、あの台湾大地震に被災、やむなく研究のベースを冬虫夏草の本場中国、大連市に移すことになった。 |
詳細は開発者自伝にて |
川浪は2003年に、日本初となる冬虫夏草の大規模栽培を成功させた。そして2008年、北京オリンピックで51個の金メダルを獲った中国アスリートたちに世界は再び驚嘆の声を上げた。そしてその裏でアスリートを支えたのが冬虫夏草だと報道されてから、神秘的なパワーを確信することとなったのである。 北京オリンピック直後から漢方薬房には外国人バイヤーが殺到し、価格が一挙に10倍にも高騰。これが引き金となってチベットで乱獲が始まり、そうでなくても希少だった冬虫夏草はほぼ絶滅したという。 冬虫夏草の人工栽培を日本各地に普及する川浪の活動も、オリンピックを境に活気を帯びてきた。同じく中国でも研究に火がついて、冬虫夏草の人工生産ものが市場に台頭するようになったのである。 |
研究 |
チベット冬虫夏草に近づきたい |
写真は、漢方生薬の主産地で採取した自然界の冬虫夏草である。この冬虫夏草はサナギから発生しているようだが、よく見ると昆虫の周りの腐葉土や下の地盤にまで菌糸を伸ばし、多様な栄養成分を得ようとしてていることがわかる。 |
自然界の冬虫夏草 |
動物(昆虫)と植物と無機物(ミネラル)という自然界の3大成分に菌糸を広げ、たっぷりと栄養成分を吸収して発芽したということになる。この生態を活かすことが、強靱な冬虫夏草を培養するために必要となる。チベットの冬虫夏草が宿主にしているコウモリガよりもさらに強力な昆虫を探して、より強靱な培地を組み立てることが必要になる。この技術がページタイトル「進化をつづける冬虫夏草」の根本で、これによって冷暖房を使わず、無菌室も要らない、食効により優れた冬虫夏草の出現を約束できる。 |
*コウモリガよりもさらに凄い昆虫を求めて *大規模栽培が可能なスーパー培養基の開発 *味覚が繊細な日本人は昆虫の臭いに拒否感 |
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そして・・・・・ |
日本で冬虫夏草の大規模栽培が成功したのは2003年。以来、足掛け16年の長きにわたって生産高と品質では日本のトップを独走し、生産技術・加工技術でも情報発信を続けています。 |
栽培地図 |
公開者 |
組 織 | 株式会社BGサイエンス 代表取締役 川浪 雅 福岡市中央区荒戸1丁目3-20 TEL:092-717-3301 FAX:092-717-3300 Mail:kinoko_110@yahoo.co.jp 2003年、日本で初めて冬虫夏草の大規模栽培に成功。菌床納入、栽培、販売、商品化について足掛け16年間の普及実績。 |