冬虫夏草5000年の歴史

中国の秘境に育つ小さなキノコが、悠久5000年の歴史を持つという。漢民族の歴史に輝く始皇帝や楊貴妃が重用し、あの北京オリンピックの裏舞台でも冬虫夏草が大役を果たした。秘境の恵みといわれた冬虫夏草の真相を、このページで検証してみよう。 

冬虫夏草が歴史に登場

ことの始まりは、ほぼ4500年前。
チベットの秘境に育つ小さなキノコを巡って、2人の英雄が激突した。平原の覇者となった黄帝と山岳地を支配する神農である。小さなキノコの大産地だった西蔵高原(チベット)の争奪戦は、壮絶な戦いとなったが、両者譲らず。このままでは共倒れしまうと考えた黄帝は「あなたの薬草の知識を後世に伝えてゆこうではないか」と、神農に持ちかけた。 
冬虫夏草5000年_チベット冬虫夏草 
その提案に、神農が譲歩して和睦が成立。協力一致して、体内治療に関しては「黄帝内経」を、体外治療については「黄帝外経」を、また薬膳の利用法については「神農本草経」をまとめ上げたのである。こうして貴重で希少なるキノコ・冬虫夏草が歴史に姿を現した。それは、紀元前2500年のことである。

冬虫夏草を探しに来た徐福

冬虫夏草5000年_始皇帝
黄帝の時代から2000年が過ぎ、今から2500年前にさかのぼる秦王朝の史実を紹介する。
それは万里の長城を築き、都・西安を数百万という兵馬俑で防御した漢民族最強を誇る始皇帝の逸話である。 漢民族の歴史で冬虫夏草が登場したのは、この件が最初となる。司馬遷がまとめた史記118巻・淮南衝山列伝には「子供の頃から身体が弱かった始皇帝が権力を握るにつれて不老不死を強く願うようになった」とあり、徐福に命じて冬虫夏草をたらふく食べるための栽培基地を蓬莱の地に建設しようとしていた様子が記されている。
始皇帝は本土最東端の天尽頭(山東省威海市)と呼ばれる岬の突端に、徐福の航海の無事を祈る廟を建て海神を奉って祝詞(のりと)をあげ、無事なる帰還を首を長くして待った。しかし徐福は帰ってこず、失意の始皇帝は西安の都に引き揚げる途中、49才の短い命を終えたのである。

楊貴妃と冬虫夏草

冬虫夏草5000年_楊貴妃

それから1000年の時が流れると、かの有名な唐の時代がおとずれる。世界の三大美女とも称せられた楊貴妃が生まれたのは、今から1300年もさかのぼる、713年である。
第16代皇帝・玄宗の皇太子の嫁となったが、一目惚れした玄宗の熱烈なラブコールを受けてお蔵換えをしてしまった。
玄宗から「褒美を取らそう」といわれた楊貴妃は、冬虫夏草とライチ(木の実)とアキョウ(ロバの背脂)という究極の美容食を「毎日食べさせてほしい」と請願したという。これらの経緯は当時編纂された「旧唐書」で詳しく紹介されている。

冬虫夏草のことを当時は「仙草」と呼んでいたが、楊貴妃は最上級ランクの「天草」を所望したともいわれており、収穫には数万の兵士がかり出され、早馬が駆け抜ける西安からチベットまでの専用路まで作らせたと伝わっている。贅沢三昧が災いして、絶大だった唐王朝もやがて財政困難に陥ったのだが、この時とばかり、楊貴妃に恋いこがれていた北方軍総司令官の安禄山が謀反の兵を挙げ、今こそ楊貴妃を手に入れんと、想像を絶する速さで西安の都に迫ったのである。都の陥落を目前にして逃げのびる途中、36才を迎えた楊貴妃は、側近であるはずの近衛兵によって捕縛され処刑されたと伝わる。
 天草に流れ着いていた楊貴妃

朝鮮王朝にも冬虫夏草の逸話 

冬虫夏草5000年_チャングム

時は中世、今を500年ほどさかのぼる朝鮮王朝の出来事を話そう。韓国正史を伝える「朝鮮王朝実録」によると、第11代国王・中宗は医女の徐長今(ソ・ジャングム)を宮廷に入れて家族の医療を取り仕切らせた、と記載されている。NHKが放映したドラマでは「瘡」という病気に苦しむ朝鮮王を看病するチャングムの設定で空前のヒットを記録した。
「瘡」とは、身体中に腫れ物が出来る不治の病で、根が内臓にあるといわれ切っても切ってもまた出てくる厄介な病気で、最後には衰弱死するという難病。
第20話ではチャングムが、冬虫夏草と赤蟻を浸した酒で朝鮮王の病苦を鎮めようとしたとある。

どうしてもチベットが欲しい 

冬虫夏草5000年_チベット

中国新(毛沢東主席)政権が、5000年の宿願だったチベット(上写真)を占領したのは1950年のこと。チベットが有史以前から独立主権国家として存在していたが、中国は歴代の王侯権力者が望み続けた大きな夢、すなわち、不老不死と永遠の美貌という不滅の欲望を何としてでも手に入れようとする執念がチベット侵略だった。これによって、皇帝たちが永年に亘って権力の象徴としてきたチベット冬虫夏草を、中国共産党は独占したのである。

 冬虫夏草でスポーツ大国になる

冬虫夏草5000年_北京オリンピック

チベット冬虫夏草を手に入れた中国は、国威高揚を目指してオリンピック選手強化に取り組んだ。強化のヒントになったのは、1993年の世界陸上競技ドイツ大会で金銀銅メダルを総ナメしてセンセーショナルを巻きおこした女子陸上競技チームである。
「冬虫夏草とスッポンのスープを飲みながら猛特訓に耐えた」という彼女たちに倣って、強化メニューに冬虫夏草をとり入れたのだが、結果は明らかである。
アトランタで行われた1996年にはわずか16個だった金メダルが2004年のアテネ大会ではロシアを抜き去って32個に、さらに2008年北京大会ではアメリカにも大差を付ける51個を獲得して、念願だった世界の頂点に立った。
中国の金メダル急増は世界のスポーツ界にとっても極めてショッキングな出来事で、改めて冬虫夏草の神秘性を認識したのだが、余りにも希少なことから、北京や大連の薬房では、冬虫夏草を買い求める外国人の輪が幾重にも出来たほどの人気だった。さらに、欧米で華僑が営むチャイニーズ・ショップでも、冬虫夏草の購入を切望するスポーツ関係者による予約が殺到し、取引価格が天井知らずの高騰を続けたのである。

冬虫夏草5000年_チベットの環境

わずか12年で金メダル獲得数を3倍強に伸ばし、中国を世界一のスポーツ大国に押し上げた冬虫夏草に世界から熱い視線が集まり、バイヤーたちは大産地のチベットにヘリコプターで押しかけて死にもの狂いで買い付けを試みた。しかし、中国の近代化は山奥にまで及んで工場が建ち並び、環境破壊は猛烈なスピードで進行したのである。大自然の楽園だったチベットにも大気汚染が広がって、それでなくても希少だった冬虫夏草が、全く採れない状態になってしまった。

 冬虫夏草の乱獲が始まった

冬虫夏草5000年_大気汚染

北京オリンピック前にはキロ当たり80万円ほどだったチベット冬虫夏草。オリンピック直後には早々とキロ当たり800万円という高値で取り引きされるという異常事態である。採っても採っても、より高値がついて売れてゆく。春になれば地域住民は総出で山に入りこみ、防塵マスクを装備して(上写真)、眼の色を変えながら冬虫夏草を探し回る。
次第に、豊かだった大自然は荒れ果て、冬虫夏草は姿も形も見られなくなった。チベットから、ブータン、ネパール、ミャンマーへと冬虫夏草バイヤーたちは探索の手を広げ、その一方で始まったのが、冬虫夏草の人工生産である。

冬虫夏草5000年_冬虫夏草の生産

生薬市場からチベット冬虫夏草が消えて、代わって中国各地からいろんな冬虫夏草(?)が集まり始めた。セミや蛾の幼虫やサナギに寄生したもの、上の写真のようなサナギに菌糸を注射して発生させたもの、稲米から発生させたもの、最悪は小麦粉やグルテンを固めて焼き色を付けた紛い物までも出まわっている。
残念ながら、どれもこれもチベット冬虫夏草5000年の栄光を激しく傷つけるシロモノでしかない。そして冬虫夏草といえば、誰もが「臭い、汚い、効かない」と目を背けるようになった。

 冬虫夏草の人工栽培を夢見た男

冬虫夏草5000年_川浪

広島出身のキノコ研究者(下左)がいた。癌に父親を奪われ「必ずや癌に打ち勝つ何かを見つける」と、リベンジを誓った男が薬膳キノコを探索する旅に出て、台湾でチベット冬虫夏草に出会い、その凄さを実感した。そして「チベット産のような冬虫夏草を作りたい。日本で栽培して癌患者に食べさせたい」と思うようになった。
川浪代表 チベット冬虫夏草の人工化を目指したが、絶滅同然なのだから将来性はない。もっと安定して確保できる冬虫夏草を探さねばならないと考え、そして眼を付けたのがコルジセプス・ミリタリスという菌種だった。



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つぎは冬虫夏草の真実を語る

冬虫夏草5000年の歴史|食事革命
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