闘病記録

切除して残った肝臓にも癌が現れた
闘病記録公開者 広島市佐伯区鈴が峰町
的場冨美子
(昭和20年8月1日生)
はじめに
お酒が大好きだった私に、病の兆候が現れたのは18年前。妹に強く勧められて検査したところ、C型肝炎だと診断。お酒をやめられなかった私はついに肝硬変になり、さらに、お決まりの肝臓癌へと進行していったのでした。平成20年4月、肝臓1/4を切除。3年を経た23年4月に、残った肝臓にも癌が発見された。
抗癌剤はやりたくない、切除手術ももう無理。真っ暗闇の中で藁をも掴む気持ちで始めたのが、冬虫夏草の開発者でもある川浪さんが指導する「食事革命」でした。
「悪いものを食べれば体を壊し、良いものを食べ続ければ健康になる」という基本理念のもと、化学添加物を入れない食事を自分でつくり、野菜やキノコを毎日のように継続して食べるという食生活を続けて6年、担当医から「肝臓癌は完治しました」と伝えられたのです。
苦節18年の闘病生活を締めくくる気持ちでこの手記を綴り、肝炎や癌で苦しんでおられる方の参考になればと思って、食事革命を指導してくださった川浪さんに依頼して、私の闘病記録を公開することとしました。

アルコール性肝炎だと思ったが

私が最初に体調の変化を感じたのは平成12年の夏。仕事をしていても身体がだるく、最初は疲れが蓄積しているのだろう、と楽観視しておりました。それでも、仕事が終われば500mlの缶ビールを2本に続いて焼酎もかなり飲んでおり、仲の良い友人からは「酒豪」と呼ばれるような毎日を送っていました。
その時は自分自身、アルコール性肝炎だろうと思っており「酒量を控えれば良くなるわ」くらいの安易な気持ちしかありませんでした。しかし、次第に疲れが激しくなり、妹からは「手のひらが赤いのは肝臓が悪いからじゃないの。一度、お医者さんに診てもらったら?」と勧められて近くの美鈴が丘クリニックに行って診察を受けました。
検査の結果は、C型肝炎。
それから1年、週1~2度通院して点滴を受けておりましたが、大好きなお酒をやめることが出来ず、発病前とほぼ同じペースで頂いておりました。
したがって治療の効果は見られず、体に鉛が入ったように動きにくくなって、その上に毎朝、二日酔のような不快な状態が続きました。
心配した妹は「別のお医者さんにも診てもらった方がいいよ」というのですが、気が重くなってなかなか思い切れません。
そんな時期、あれは平成14年、私は交通事故に遭って、鈴が峰のカネミツ整形外科病院で治療することとなりました。そこには内科(循環器系)もあるので、妹の意見に従って肝臓の治療もしてもらうようになりました。
一進一退を繰り返しながら1年半を経た平成15年、内科の先生から「肝臓専門の病院に行きなさい」と勧められ、JR五日市駅前の永島クリニックを紹介されました。永島先生は肝臓の名医と言われて有名な方だそうですが、残念なことにご高齢で、私が通院しだしてまもなく他界され、代わって先生の息子さんが跡を継がれました。

3年ほどたった平成18年4月に「C型肝炎から肝硬変に進行している」と診断され、先生に勧められて広島日赤病院の診察も受けるようになりました。
そして3ヶ月に1度、精密検査を受けていて3回目の検査で、日赤の先生から「肝臓癌に進行している」と診察され、激しいショックを受けました。C型肝炎で通院しだして8年目、いつかは「癌」と言われる日が来るのだろうと、もっとも私の恐れていたシナリオの実現だったからです。

あれは平成20年、忘れもしないゴールデンウイークが始まった日に日赤病院で癌の切除手術を受けて、1/4を切除しました。しかし、それで肝硬変もC型肝炎も治ったわけではありませんから、C型肝炎ウイルスを完全に退治してくれる抗ウイルス薬を見つけてもらう必要がありました。
3ヶ月に1度、精密検査を受けては別の抗ウイルス薬を試してみるという治療がしばらく続きました。しかし体調は手術前と変わらず最悪で、そして手術からちょうど3年たった平成23年4月の精密検査で、腫瘍が見つかったのでした。その時点の血液検査ではGOT112、GPT90、腫瘍マーカーAFP78でした。
覚悟してたとはいえ、凄いショックでした。それでなくても深い病巣のある肝臓、しかも切除して残された肝臓から癌が見つかったのだから、もうこれ以上の切除手術は受けられません。C型肝炎を治す薬が見つからない、肝硬変、癌、その上に糖尿病まで発症していたのが分かりました。
10年間も肝臓を治すために頑張ってきたのに「残された治療方法はもうない」と分かると、死が近づいてくる恐怖とともに、とてつもない失望感が襲ってきて頭の中が真っ白になりました。

「食事革命」を知ることに
妹が経営している喫茶店のお客さんで、岡田さんという方がいらっしゃいます。子供の頃から家も近く顔馴染みだったので、妹が相談を持ちかけたようです。そうすると岡田さんは「食事革命というのをやってみたらええよ。冬虫夏草というキノコを軸にした食事方法じゃけえ」ということでした。溺れる者は藁をも掴むと諺にもあるように、私はすぐに反応して「教えてほしい」と頼みました。

冬虫夏草は、シイタケやキクラゲと同じキノコの一種だそうです。岡田さんの親しい福岡市の川浪さんとおっしゃる友人が栽培方法を発明されたそうで、広島では江田島、山口県では防府市で栽培が始まったということでした。
届いた冬虫夏草は人工栽培もので、収穫乾燥したものを粉にしただけの食品素材でした。これに「神秘なる冬虫夏草」という読本を持って日赤病院の担当の先生に見せて「冬虫夏草というキノコだそうですが、これを続けて食べても良いですか?」と尋ねました。先生の答えは「食品ですから、食べても差し支え有りませんよ」ということでしたので、平成23年7月16日から「食事革命」を開始しました。

始めてみると「食事革命」って、思ってたよりも簡単でした。加工食品は食べない自分で食品添加物を使わない料理を作って食べる白砂糖をやめる塩は海水からとれた塩のみ、小松菜・キャベツどの野菜をふんだんに、そしてキクラゲとか冬虫夏草などキノコ類を毎日食べるというものでした。岡田さんのアドバイスに従って、冬虫夏草を毎食前に小さじ1杯(1グラムほど)食べましたが、食感は「きな粉」の濃い感じで、別に食べづらくはありません。はじめて1週間もしないうちに、気のせいかも分かりませんが身体の変化を感じました。大便がよく出る、睡眠が深い気がする、目覚めの気分が良くなってきたなどです。

食事革命をはじめて最初の血液検査は平成23年9月でしたが、明らかに測定値は低下していました。食事革命前のGOT112GOT65に、同じくGPT90GPT44に、AFPは(どういう理由か分かりませんが)測定していません驚きました、わずか50日ほどで肝臓の測定値の大幅な低下を目の当たりにしたのですから。
正直いって、私は「食事革命」など信じていなかったし、有名病院の権威の先生に診てもらってもどうにもならなかった肝臓や癌が食事だけで良くなることなどあり得ないと、心の奥底では思っていたのです。でも、溺れる者は藁をも掴むつもりで始めた食事革命が、私にきわめて大きな変化をもたらしてくれたのです。そして「治るかもしれない」との期待を抱けるようになって、10年ぶりにホッと安堵するような、嬉しいような気持ちになりました。

年が明けて平成24年3月、食事革命をはじめて8ヶ月目の精密検査。
以前は「悪くなってたらどうしよう」と、結果を知ることが怖かったのですが、ここ最近では少しずつでも数値が下がっているので検査が待ち遠しく、そして結果を知ることにワクワクするような期待感がありました。
そしてその日も、案の定、期待通りの素晴らしい数値、GOT47、GPT28、AFP14を確認しました。肝臓も癌もほぼ基準値まで下がっているし、さらに先生からは「腫瘍の影が消えてる」との嬉しい診断をもらって、飛び上がりたいような感動を受けたことを覚えています。
「健康」って、何ものにも勝りますね。ちょうどその頃、近所の石内川の両岸は桜が満開になり、お弁当を買って楽しく美味しく、僅かばかりの宴を開きました。あのときの感激と幸福感は、今でも忘れません。

再発したC型肝炎

でも、これで「完治した」というわけではありませんでした。食事革命を1年も続けてると、気のゆるみもあったように思います。自分で料理することを怠けて以前のように加工食品が多い食事、冬虫夏草も食べたり食べなかったりする日々が続いていましたそれでも癌マーカーAFPは10~14ほぼ安定していましたが、体内に潜んでいたC型肝炎ウイルスはジワジワと増殖を続けていたようです

平成25年2月、岡田さんから「癌はもう治っとるから、冬虫夏草をやめてみようや」との提案があり、私も「もう大丈夫」と思ってこれに従いました。そしてその翌月くらいからか、久しぶりに肝機能の測定値が上昇しだして、身体も以前のような激しい倦怠感を感じ始めていました。
6月になっても具合が良くならず、岡田さんに相談したところ「川浪さんは、冬虫夏草に身体が馴れたから代わりに鹿角霊芝を摂ってみよう、と言ってるよ」と言われました。そして送られてきたのは全く鹿の角によく似た、はじめて見る奇妙なキノコです。これを煮出すととても苦いお茶のようでしたが、これも「食事革命」だと信じて、飲み続けました。
ところが、2ヶ月たっても身体のだるさが解消しません。以前のように、どんどん悪くなって死の恐怖を味わうのは懲り懲りですから、岡田さんに「冬虫夏草を送ってください」とお願いをして再び冬虫夏草を軸とした食事革命を開始したのでした。
それから2~3ヶ月くらいでしょうか、身体のだるさも軽くなり、25年11月の血液検査では
GOT46、GPT36、AFP11と、ほぼ基準値まで回復した感じとなり、胸をなで下ろしました。

年が明けて平成26年、体調はほぼ順調で、2月の血液検査では
GOT34、GPT21、AFP9と、全てが基準値内に収まるという嬉しい数値でした。
永島先生からは「C型肝炎ウイルスが悪さをすると、また癌がひどくなるから、身体が元気なときにウイルスをやっつけましょう」との提案をされて、いろいろな新薬を試す月日が続きました。毎月行う血液検査ではGOTもGPTも上がったり下がったりを繰り返しており、いずれの薬も効いたとは言い難い状況でしたが、
AFP10~20をキープしていたので、癌が再発する恐れはないという安心感はありました。
平成26年10月に入って、インターフェロンに挑戦しました。この医薬はC型肝炎ウイルスを撃退する専門薬だということでしたが、投薬された直後からすごく体調が悪化し、その翌月に実施された血液検査では久しぶりに
GOT71、GPT54、AFPは20上昇するという高い数値を記録しました。先生からは「インターフェロンの投与をやめよう」ということで中断しましたが、手術前にも増して身体の苦しさが続き、まる1ヶ月は不安な日々を送りました。
もう頼れるのは食事革命だけ、と川浪さんが教えてくれた食事方法を一生懸命に実行しました。そして12月に入ると体調が少し楽になってきた様子で、血液検査でも
GOT41、GPT26、AFP20と、やや回復基調を示しておりました。

抗ウイルス薬が見つかった

明けて平成27年1月、C型肝炎ウイルス撃退への挑戦は続きました。新年早々、ウイルス撃退の特効薬として開発されたというダルクインザ錠60mgスンベプラカプセル100mgをセットで投与されました。これは、前年7月に厚労省によって認可されたばかりという、ぴかぴかの新薬です。この投与では、インターフェロンのような不快感はありませんでした。そして1ヶ月後の2月の血液検査ではGOT28、GPT18、AFP10基準値を全て下回ったことから、新薬がウイルス撃退の効果をあげたんだなという実感がありました。

それから2年半が経過した平成29年7月、永島先生からとても嬉しい診断を頂いたのです。
「肝臓癌は完治しています」
定期的に行ってきた血液検査ではGOT35~24、GPT30~11、AFP5以下でもう2年間安定しています。これなら、健康な人よりも良好な数値だということでした。
肝炎を発病して18年、肝臓癌を切除手術してまる10年が過ぎ、C型肝炎にも肝硬変にも打ち勝った私。
今年もまた、元気いっぱいの身体と素晴らしくすがすがしい気持ちで、石内川の桜を満喫することができました。
これもひとえに、C型肝炎の抗ウイルス剤を見つけていただいた永島クリニックの永島院長先生と、食の偉大さを引き出すことを御指導いただいた日本自然療法協会の川浪代表のお陰であり、心からの御礼と感謝を申し上げます。

END
Mail:fukuoka@coccus.asia

※公開依頼者の的場さんがご高齢かつPC操作ができないため、本ページは、公開者のご意志で日本自然療法協会創設者の川浪が手記掲載(ご本人の了解をとって)およびデータ公開をしております。